いち@読書ブログ

読んだ本の考察など、ネタバレ前提なので気をつけてください。

嗤う伊右衛門 ネタバレ感想と考察

嗤う伊右衛門の感想なのに虐殺器官の母の話、映画版ハーモニーのラストのネタバレがあります。ご注意を。



百鬼夜行シリーズ以外の京極夏彦にはじめて手を出しました。と同時に時代小説デビューです。


異性愛もの恋愛小説を勧めるなら今後はこの「嗤う伊右衛門」にしようと思うくらい良かったです。

ラストの狂愛の果てを心の底から美しいと思えたのが主な理由かと思いますが、私の性癖とも言える好きな要素が二点あったからかなとも考えています。

抑圧・規定する者としての母と、その身代わり

これに当てはまるのが又左衛門と母の関係、その身代わりとしてのお岩です。

実直な又左衛門の像は厳格な母のしつけによってつくられました。

常に母に監視されていると感じている点が「虐殺器官」の主人公、クラヴィスにとても似ています。


両者とも母の視線、抑圧を感じながら育ち、結局完全な巣立ちができずに幼稚な精神のまま時が経つにつれ自分の存在を規定するものとしてそれにすがってしまうようになります。

しかし当然ながら先に母は死にます。

そうなると彼らは自分を規定してくれる存在、母の身代わりを見つけて生きていかなければなりません。
それが「嗤う伊右衛門」では娘のお岩、「虐殺器官」ではルツィアだったのでしょう。

又左衛門がお岩に抱いていた感情は、娘に結婚してほしくないのは世の父親のならい…などといった生易しいものではなく、このような非常に幼い依存心なんじゃないかと感じました。



私が愛したあなたのままでいてほしい

「御行の又市」の冒頭で既にお岩は死んでいて、伊右衛門のもつ桐箱の中にいることが推察されますが、肝心の死因については描写されていません。

「誰にも渡したくない」という又左衛門と同じ動機があったこと(能動的行為に及んだ可能性大)

刀を研ぎにだしたこと

(メタ視点になりますが)人物像は改変されているが「起きたこと」については原作の四谷怪談と大きく変わっていないこと

より、伊右衛門がお岩を斬ったのではないかと考えています。

宅悦を殺害したことでお岩は追われる身です。
放っておけば捕らえられてしまいます。

ただ、逮捕されて欲しくない、しかし匿うことが難しいだけで側にいるためには殺さなければならないのと考えるのか…?
と、いまいち納得がいかないところがあります。

ここからは完全に私好みの解釈になるので異論は大歓迎です。

「誰にも渡したくない」の「誰にも」には「狂気」を当てはめることも可能なのではないかという解釈です。

私の愛したあなたのままでいてほしい。

それを損なうのはたとえあなたでも許されない。


映画版ハーモニーでトァンがミァハを殺す動機です。
私はこれが好きすぎて他の作品にも殺害の動機としてこれを当てはめたがる傾向にあります。

伊右衛門は性根が強く真っ直ぐなお岩を愛しました。
しかし伊藤喜兵衛の嘘に騙され、真実を伝えた宅悦によって精神に破綻をきたして狂乱したところで彼女の描写は終わります。

書かれていないので完全な妄想ですが、伊右衛門の元にお岩は生きてたどり着いたのだと思います。しかしすでに伊藤と宅悦に壊され狂った姿だったのでしょう。

愛したお岩を「誰にも渡したくない」は「これ以上誰にも壊されたくない」と同義だったとしたら、伊右衛門自身が最後に手を下すという選択は自然と理解できます。

描写のない空白の時間の経緯はこんな感じだったのではと考えています。



時代小説デビューでしたが、四谷怪談を読んだことがあったおかげで特に困らず読み進められました。
江戸怪談シリーズ、他の作品も楽しみです。